山古志のコト

唯一無二の日常がある。伝統文化と大自然のうえに暮らす山古志の人々

「山古志の暮らし」と聞いてどんな光景をイメージしますか? 意外と難しいかもしれません。「震災復興」や「闘牛」、「錦鯉」など山古志と結び付くキーワードはたくさんありますが、それで私たちがイメージするのは「闘牛場で角を突き合っている様子」や「水槽で泳ぐ錦鯉の姿」です。その表舞台の背景として、普段の山古志ではどんな日常が流れているのかは意外と知られてないのではないでしょうか。

長岡駅から車で30分余り、東京からでも最短2時間程度という好アクセスながら、まるでフィクションの世界かのような、ユニークでゆるやかな日常が山古志には流れていました。

“虫亀”の道端で闘牛に遭遇

山古志といえば何といっても闘牛ですよね。かつて山古志を含む一帯は二十村郷と呼ばれていました。“牛の角突き”はこの地域で代々と伝統的に行われてきたとされており、その歴史は数百年あるいは千年とも言われています。山深いこの地域にとって牛は働き手として欠かせない存在であり、牛と人は家族同然の様に暮らしていました。「牛の角突き」はそんな牛と人の密接な関係から、次第に人々の娯楽と転じて文化として根付いたものです。

そんな背景があるため元々は、集落の中で闘牛を目にすることはなんら特別なことではなかったのですが、現在は大きな厩舎で闘牛をまとめて飼育するようなり状況は変わったそうです。しかし、すべてが厩舎にいるわけではありません。虫亀集落の平澤さん兄弟はいまも自らの家で闘牛の「健康力」を育てています。

やはり闘牛場と道端とではまったく印象が違います。至近距離のためより大きく感じるというのもありますが、それ以上に表情の違いを感じました。やはり闘牛場で会うと殺気立った表情でとても素人が近づける雰囲気ではないのですが、育て親の平澤さんから外で気持ちよくブラッシングをしてもらっているときの表情は柔らかで親しみやすかったです。それにしてもまさか、道路を闊歩する闘牛を目にすることがあるなんて思いもしないですよね。

住みたくなるヤマの風景

山古志に訪れるたび、スマホの中に山古志の景色が増えていくのは私だけでしょうか。どこを撮ってもサマになる。どこから眺めても眼下に絶景が広がる山古志は、歩いているだけで気持ち晴れやか。中にはこの絶景に誘われて山古志に移住してくる人もいるのだとか。

80歳を超える写真家、加藤冨二さんもその一人。加藤さんは山古志の豊かな四季に魅せられ、30年間通ったあげく山古志へ移住をしました。

虫亀集落にある加藤さんのギャラリーと休憩所を兼ねた「写真の家」にはこれまでに加藤さんが写真に収めた山古志各地の絶景が多数! 加藤さんから直接、撮影ポイントを教えてもらったり山古志の風景を愛する気持ちを説いてもらえます。
写真の家のすぐ側もビューポイント。彼方まで棚田が続いています。

【施設概要】
・写真の家
・新潟県長岡市山古志虫亀4064
・年中無休

世界に誇る観賞魚の故郷

山古志を通ると至るところに写真のような建物を目にします。このあたり以外で見ることはないような、ビニールハウスとも違うスケルトンな建物。

これらは錦鯉を育てる“養鯉施設”で、建物がスケルトンなのは太陽光をたくさん浴びることで錦鯉の発色がよくなるため。
とある養鯉場を見学させてもらいました。建物の中には適切に水温管理された水槽が二つ。生育段階によって水槽を使い分けるそうだ。

水槽の中には錦鯉の稚魚が何匹も。水槽の側に立つと餌をもらえると勘違いしたのか寄ってきて、その様はなんとも愛らしい。

自然に恩恵に抱かれるヤマの暮らし

山古志で暮らすひとにとって山菜はとても身近な存在。季節の移り変わりを教えてくれる山菜は暮らしにリズムを与えてくれます。山古志地域内には大きいもの、小さいもの合わせいくつもの直売所があります。立ち寄ってヤマの旬を感じてみては。

山古志で身近なアクティビティといえばやはりウインタースポーツ。山古志の中心部から10分も車を走らせれば「古志高原スキー場」に到着します。週末にもなると長岡市内各地から気軽にウインタースポーツを楽しみたい人で賑わいます。

おわりに

いかがでしたでしょうか。山古志の普段の暮らしが少しはイメージできたのではないでしょうか。伝統文化が暮らしに根付き、大自然とともにある日常が山古志には流れています。ぜひ何でもない日の山古志を体感しに、訪れてみてください。