日本の原風景が残る「棚田棚池」が織りなす美しい景観を持つ山古志。日本農業遺産第一号に認定されており、四季折々の山古志ならではの景色は、訪れる多くの人を魅了し続けています。
大小の山が重なり合うこの地は、昔から地すべりの多い土地であり、自然の恩恵と同じくらい天災などの困難にも向き合ってきました。その厳しい自然の地形を、克服し、利用し、創り上げてきた「棚田棚池」。
今、私たちが見ている自然の美しさの陰には、困難を乗り越えて棚田棚池を切り開いた、先人たちの工夫と苦労があります。
それでは、棚田棚池のルーツを辿ってみましょう。
困難を恩恵に変えた地、棚田棚池の成り立ち
地すべりと棚田
昔から地すべり地帯として自然災害と向き合ってきた山古志。人々は、地すべりによってなだらかになった山の斜面を切り開き、棚田を作ってきました。また、地すべりによって生じる土壌のかく乱作用が地力を回復させ、農作物の生育に恩恵をもたらしてくれました。
棚田を切り開いた「横井戸」を掘る技術
「水路隧道(すいろずいどう」
棚田への用水路を確保するために、山古志で最初に掘られた手掘り隧道です。1895年(明治28年)10月から13年の年月をかけて、片刃のツルハシ一つで約250m掘り進められました。
山古志の棚田の水は、自然の湧水や、山の斜面を利活用した地下水に頼っています。これらの水は非常に冷たくそのままでは耕作に適さないため、「ため池やセキ」などを使って、水を棚田に入れるのに適した温度に温める工夫が必要でした。
山から水を多く引き出すために、「横井戸技術」が活用されています。横井戸は、水田に適している近くの山を、山肌に沿って北に向かって横に掘り進めていく技術です。地下水が湧き出るように、勾配をつけて50〜60mほど掘り進めて必要な水を確保していました。
山の斜面を切り開いて確保した水は「棚池」に溜め、棚池の水は「棚田」に引く。このような工夫と苦労を重ねて、水の循環システムを構築し、棚田棚池は作られてきました。
この横井戸を掘る技術は、のちの日本最長の手振り隧道「中山隧道」を掘る技術に活かされています。
豪雪を利活用した独自の水利システム
山古志には、雪解け水や雨水、山の湧水など、複合的に利用できる独自の水利システムがあり、横井戸や雪解け水を利用した稲作と養鯉が伝統的に行われてきました。
中でも、豊富な雪解け水や地下水を利活用するための「横井戸技術」は、起伏の激しい山古志の自然環境にみごとに適応したからこそ、棚田棚池を作りあげることができました。
さらに、貴重な水源の管理のために、もう一つ重要な役割を果たしたのが、山ならではの「マキ」と呼ばれる社会組織です。「マキ」とは、一種の血縁集団を意味し、マキを単位として田畑の生計維持や資源管理が行われてきました。
こうした水利システムと管理体制により、通常は鯉の養殖の池として、時には稲作用の貯水池として、多用にに活用できる棚池が生まれました。
今も尚、錦鯉の養殖を始めとした、唯一無二の独自の農文化を育んでいます。
美しき日本の原風景、「棚田棚池」の春夏秋冬
日本農業遺産第一号に認定された、日本の原風景が醸し出す春夏秋冬の美しさをご紹介します。