山古志の歴史

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菜の花が咲く春の山古志

山古志は新潟県長岡市にある、山に囲まれた地域です。
集落は、標高150mから450m程度にあり、村内の地形は傾斜が強く、平地はほとんどありません。
そして、冬になると2m以上の雪が降り積もる豪雪地帯です。
ここに住む人たちは、遠い祖先から「雪が降らんといい所だが…」と雪を恐れ、怨みながらも生まれた土地を捨て難く、じっと豪雪の下から春を待ち続けてきました。

この土地に人が住んだことが確認できるのは、今から5,000年ほど前。
縄文時代中期のものとされる赤木遺跡が残されています。
食料を求めて、川をさかのぼり、尾根をつたって、この地たどり着きました。
そして何世紀にも渡り、人の手で、山肌を切り開いて棚田とし、この風景を築き上げてきたのです。

山古志の村を史料の上で確認できるのは江戸時代が始まる少し前の1597年。
江戸時代のはじめには「山二十村」と「山六ヵ村」と呼ばれていた記録があり、その後「二十村郷」と呼ばれるようになりました。
この時代から、山古志では、祭礼などに「牛の角突き」が始まり、その珍しさから、18世紀前半に滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で牛相撲として紹介され日本中から注目を集めます。
現代では牛の角突き習俗が国重要無形民俗文化財に指定されています。
また江戸時代後期の19世紀初頭には色鯉(錦鯉)が誕生。
山古志で生まれた錦鯉は、近年では世界各地で観賞用として広まり、「泳ぐ宝石」「泳ぐ芸術品」として多くの人から愛されています。
このように、山古志は山村でありながら近世から全国に知られる珍しい地域だったのです。

しかし、近代化の波の中で山古志の文化も少しずつ姿を消してきました。
また、2004年10月23日にこの地を襲った震度6強の地震により、土砂崩れと地すべりで壊滅的状況となり、「全村避難」を余儀なくされました。
この土地で育まれてきた文化や営まれてきた暮らしがまるごと失われるかもしれないという危機を、村民の『村に戻りたい』という強い想いで乗り越えてきました。

2005年、長岡市と合併した山古志は、今も自然とともに生きる伝統が暮らしの中に行き続けています。2017年、この地の人の営みは「雪の恵みを活かした稲作・養鯉システム」として日本農業遺産に認定されました。


-参考-
「山古志村史 通史」編集・山古志村史編集員会/発行・山古志村役場
「写真集 山古志村 宮本常一と見た昭和46(1971)年の暮らし」著者・須藤功/発行・社団法人 農山漁村文化協会
「図解 にいがた歴史散歩<小千谷・北魚沼・古志>」編集/発行・新潟日報事業者出版部
「山古志復興新ビジョン」山古志復興新ビジョン研究会

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