山古志のコト

泳ぐ宝石・錦鯉の発祥地は山古志だった!

水槽で泳ぐ錦鯉

1.錦鯉って何?

 日本を代表する魚・錦鯉。金色の鯉、紅白の鯉。 様々な体色をした鯉たちは、私たちを魅了します。鮮やかな色彩と優雅に泳ぐ姿は、あるで「宝魚が舞い踊っているよう」とも言われる美しさです。

日本で生まれ育った人ならば、錦鯉を見たことがない人を探すほうが大変というくらい、おなじみの魚ではないでしょうか?そんな錦鯉ですが、実は池や川などにでもいる鯉とまったく同じ淡水魚であるということは、知らない人も多いかもしれません。実はあの真っ黒な鯉から、遺伝子変異によって偶然誕生したのが、色鮮やかな錦鯉なのです。

水槽の中で泳ぐ錦鯉

2.山古志は錦鯉発祥の地!

  そんな錦鯉は、実は山古志で誕生しました。鯉はもともと日本の魚ではなく、原産地域は、現在のイランあたりと考えられており、食用として日本に持ち運ばれたのではないかと言われています。

 

 現在の新潟県長岡市の山古志、小千谷地域周辺では、棚田に水を引くため、村人たちは横井戸を掘って山の地下水を使っていました。この地域では、冬季に入り雪が積もり、訪れる春には雪解けの冷たい地下水が流れます。しかし、稲作には冷たい水は適しません。そこで、棚田の一番上の段に池を作り、いったんそこに水を貯めて、太陽の熱で適温になるのを待ってから稲作に使っていました。

錦鯉を育てる「ため池」
 この「ため池」別の使い道として、山古志で食用の鯉を育てはじめたのが山古志での養鯉の始まりです。田植えが終わった水田に稚魚を放しておき、秋に成長した鯉と米の両方を収穫するのがこの地域の伝統的な農業の姿でした。

 

 その食用の鯉がある時、突然異変を起こしました。

 色のついた体色の鯉が生まれたのが錦鯉の誕生です。山古志では「色鯉」と呼び、錦鯉が全国的に知られるきっかけは、大正3年(1914年)に開催された「東京大正博覧会」に「変わり鯉」として新潟県の古志と魚沼郡から出品され、赤と白の色彩のある「紅白」の錦鯉は日本の国旗のイメージをもっていたので特に人気があったそうです。それ以降、より美しい姿になるよう改良を重ね、緋鯉以外にも、紅白、浅黄、べっ甲などの体色をした鯉が生まれていきました。現在では山古志を代表する産業に成長しました。

 

3.錦鯉が立派な大人になるまで

  錦鯉の生産は、主に屋外池(ため池)での飼育と冬期間の屋内池での飼育があります。

冬期間錦鯉を飼育する屋内池

 山古志の養鯉は、春のイケスの掃除、野池の準備から始まります。雄と雌を産卵池に移して産卵させ、卵から稚魚を孵化させます。稚魚の時点で色の綺麗さや、体格などで錦鯉の選別を行います。そこで、取り除かれた鯉は、縁日などで販売されることもあります。このように晩春~初夏にかけて新しい稚魚の生産を行います。

 

 盛夏~秋季にかけて、稚魚を屋外の野池に放養し、錦鯉を育成します。ここでも選別を行っていき、丈夫で見た目が美しい鯉だけを残します。

 

 秋季~初冬にかけて、育成した錦鯉の「池上げ」を行います。一部は各地で開催される品評会へ出品され、色合いの美しい錦鯉は高値で販売されます。また、海外への出荷についても秋~冬期にかけて多く行っており、この時期に「錦鯉オークション」などの催しも行われています。

その後、冬の寒さで鯉が弱ってしまうため、残った多くの錦鯉は取り上げて越冬ハウスへ移動します。ハウスの中は18~20度位の水温を維持し、冬を越えていきます。

イケスで泳ぐ錦鯉

4.錦鯉触れ合い情報

 山古志には、道を通るたびに養鯉業者の建屋を見ることができ、また「やまこし錦鯉生産組合」のホームページでは、錦鯉を購入することができます。旧山古志村・長岡・小千谷で育った良質な錦鯉は、日本全国、世界中に届けられています。紅白・大正三色・昭和三色の御三家をはじめ、光り物・銀鱗系・ドイツ鯉などさまざまな品種を取り扱っているので、様々なニーズを満たしてくれると思います。また、松田養鯉場の横枕ハウスでは、飼育・展示販売していますので、そちらもおすすめです。

 

 一番簡単に鯉に触れ合えるのが、「やまこし復興交流館おらたる」です。

 ここには、大きな水槽があり、その中に彩豊かで、愛くるしい鯉たちが泳ぎ回っています。間近で見ることができ、鯉たちも人が来ると、餌欲しさに進んで顔を見せに来てくれます(笑)、そして最近のニューフェースとして、くちびるのついたニックネーム「石原さとみ」と呼ばれる鯉も入りました。ここでしか見れない鯉なので、是非見に来てください。

ニックネーム「石原さとみ」と呼ばれる鯉