「牛と農業」を深く知る

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山古志の住民にとって「牛」は、農耕、輸送の欠かせないパートナーでした。そのため、茅葺(かやぶき)の住まいの中に牛を飼う厩(うまや)を作り、牛と共に生活してきました。家族同然の牛たちは、弟を呼ぶ名の方言を使い「オジ」と呼ばれ、文字通り「寝食をともにする存在」でした。

山古志の人々と牛との関わり方から、国の重要無形文化財に登録された「牛の角突き」文化まで、「山古志の生活と牛」のルーツを辿ってみましょう。

 

牛と共に営む暮らし

山古志の暮らしにおいて、人々と牛は深く結びついていました。

平地がほとんどない起伏の激しい中山間地では、他の地域から牛を入手して肥育(ひいく)を行っていました。入手方法は2つあります。

一つ目は、家畜を専門に買付するバクロウ(主に会津のバクロウ)から購入していました。二つ目は、長岡や刈羽の平野部の農家から預かる方法でした。平野部の春の田仕事を手伝ったあと、牛を預かって山古志に帰り、良く世話をして11月ごろに飼い主に返すことを行っていました。山古志の歴史資料には、「牛がよく肥えて持ち主に返った」と書いてあり、礼金や米をもらったようです。

1957年(昭和32年)の調査によると、江戸時代の記録では、山古志の990件の農家で、4頭の馬と370頭の牛を飼っていたと記録されています。足腰の強い牛は主に、農耕や運搬のための使役として飼育されていました。

農作業では、マングワ(田の土を平らに均す用具)を引かせて、田の土を平らに均したり、棚田が崩れたり水漏れしないように田の底を踏み固めたり、傾斜の多い土地を耕すのに大きな役割を担っていました。

また、峠を越えなくてはならない山間地の荷運びとして、生活の場である集落と生産の場である山林の間を、重い物資や収穫物を運ぶのにとてもありがたい存在でした。

そのほか、牛は家畜として大きな役割を果たしています。特に、牛小屋からとれる堆肥(たいひ)は貴重なものでした。当時の化学肥料は質が悪く、現金収入や商品流通に困難を伴う山間地の集落に置いて、牛の堆肥は田畑の土質を補う肥料として、大いに役に立ったようです。

このように、山間地ゆえの生活条件が、山古志の日常生活と牛の飼養を結びつけたと言えます。

 

1000年の歴史を誇る郷土の誇り「牛の角突き」

古代から神事として山古志に根付いてきた「牛の角突き」。1000年以上の歴史があり、重要無形民族文化財に指定されています。最大の魅力は、農家にとって大切な家族であり、貴重な働き手であった牛を傷つけないために、勝敗をつけない文化です。

体重1トンを超える2頭の牛たちが、「かけ」「はたき」「ねじり」などの力と技で、角を突き合わせて激しくせめぎ合う姿は、手に汗握る勇壮な戦いです。

勝負がつきそうになる瞬間、勢子(せこ)長の右手がさっと上がり、引き分けに終わるルール。まだ闘志が残る荒れ狂う牛を、勢子たちが制止しようと必死でくらいつく様は、巨牛と人間との迫力のなる技の掛け合い。それもまた、「牛の角突き」の醍醐味です。

山古志の牛の角突きは、江戸時代の文豪、滝沢馬琴(たきざわばきん)の代表作「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)に記されています。八犬伝では、山古志の村人たちが牛の角突きを神事として崇め楽しんでいる様子を、虫亀集落(虫亀闘牛場)の実名を織り交ぜながら詳細に描写されています。

昔から神事として行われてきた「牛の角突き」は、山古志の人々にとって神聖な場所であり、不浄な人は角突き場に出てはならないという習わしがありました。山の暮らしを一家族として支えてきた牛たちへの敬意の現れの場ともいえるでしょう。

 

中越地震による「牛の角突き」との関わり 

2004年10月23日に、新潟県中越地震により山古志は壊滅的な被害を受けました。この地震により、倒壊した牛舎の下敷きになり、約半数の牛が一瞬にして命を落としました。

そんな悲劇がありながらも、飼い主や勢子たちは身を切られるような思いで牛たちを残し、全村避難の指示に従わざるを得ませんでした。避難してから数日後、まだ余震が続く中、残された牛を助け出すために、危険をかえりみずに村へ戻り、崩れた斜面を牛を引きながら、3日間かけて全ての牛を無事に避難させました。

その後、牛も住民たちも、仮設の住宅や牛舎での暮らしが余儀なくされる中、復興への足がかりとして、2005年5月に仮設闘牛場を解説し「牛の角突き」を再開しました。山古志の復興を応援しようと、県内外から3000人もの方々が観戦に訪れ大盛況で閉幕。それにより、「牛の角突き」は地震で被災した人たちの希望の象徴となりました。

大地震に見舞われて一時は存続が危ぶまれた「牛の角突き」ですが、2008年に山古志闘牛場で4年ぶりの初場所が開かれました。その陰には、牛を愛し、伝統を守り抜こうとする勢子や住民たちの熱い思いと、全国からの温かい支援があったからです。

現在も「牛の角突き」は、5月4日の初場所を皮切りに11月3日の千秋楽まで毎月1~2回開催され、山古志の伝統行儀として多くのファンに支えられています。

 

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