山古志のコト

迫力ある山古志の「牛の角突き」の歴史とは?

牛の角突きの様子

1.山古志の闘牛とは?

「モゥ~~~!!!」
響き渡る闘牛の声、ぶつけあう角。まじかで見るとさらに感じるこの迫力は伝わってきます。新潟県長岡市山古志で昔から伝わる伝統「牛の角突き」。日本で2つしかない闘牛場の一つがこの「山古志」にあります。

2.山古志伝統「牛の角突き」の歴史を知ろう!

山古志の「牛の角突き」の歴史は古く、千年前とも言われています。山古志で牛を飼うようになったのは、山あいの棚田で荷物を運搬したり、田畑を耕作したりするときに、足腰が強く、寒さや粗食に耐える牛は昔から運搬や農耕に貴重な働き手でした。飼い主との密接な関係の中で「牛の角突き」は山古志の人々の娯楽として根付いていきました。
夏の棚田風景
600年前とも1000年前とも言われますが、証明できるものがないため正確なところは不明です。その起源には諸説あり、昔この地域に住んでいたアイヌの人から伝わったという説や、中国大陸の満州地方から移り住んだ人達が、故郷の習俗だった角突きをこの地で開催したという説などがあります。
角突きが初めて文書として記されているのは、『垂穂録』(1895年)という、名古屋の明倫堂教授の記録です。江戸時代のベストセラー、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の中にも越後角突きの話が登場します。龍と牛の間にできたウロコのような体毛をもった虫亀の牛「須本太」を、怪力の持ち主「小文吾」が角をつかみ制止させるという話です。馬琴は山古志の角突きを「宇内(日本国内)無比の一大奇観」と記しています。

また、越後の禅僧・良寛は、出家する少し前に角突きを観戦し、「虫亀にて闘牛を見る」という詩を残しました。この詩には角突きに沸き立つ観衆の様子とともに、出家を決心する良寛の心情が詠われています。山古志では、錦鯉ブームや農業の機械化で、昭和35年頃をピークに牛の数が減少していきました。昭和41年までに角突き牛はわずか1頭にまで減り、村の過疎化も進んで、一時角突きは途絶えました。

昭和47年、山古志村観光協会が発足したのをきっかけに、角突きで村起こしをしようという気運が高まり、12頭の闘牛が導入されました。昭和49年には山古志村闘牛飼育組合が発足し、越後闘牛大会の開催も計画されました。村人たちの熱意により闘牛場の整備も進み、飼育頭数も150頭を超えるまでになり、山古志伝統の習俗「牛の角突き」は復活しました。そしてついには昭和53年、国の重要民俗文化財に指定されるまでになったのです。

角を突き合わせ、激しくせめぎ会う2頭の牛。手に汗握る勇壮な戦い。千年の歴史を受け継いだ郷土の誇りを間近で楽しむことができます。

3.闘牛触れ合い情報や牛の角突き情報

実は私、闘牛と触れ合ってきました。その時の写真がこちら!
闘牛の背に乗る筆者
なんと、闘牛の上に乗っているではありませんか!!(笑)
牛舎なので、牧場のような匂いは感じますが、人を軽々と乗せれる大きい体、筋肉もむきむき。体温も暖かく、つい眠ってしましそうになりました。闘牛場で見るよりも、さらに迫力がありました。これは、なかなかできない経験です。
しかし、なんと闘牛と触れ合うことができる施設があります。山古志池谷という集落にある「闘牛交流牛舎」です。
一回500円で触れ合い体験ができ、内容も相談に応じていただけるそうです。闘牛は家族と同じように大切に育てられ、自分の家族の「誇り」として牛の角突きの大会に参加させているそうです。

そして、2017年、今年度の牛の角突きはこちら!
平成29年度闘牛大会のチラシ
5月4日〜11月3日まで、毎月2~3回行っております。チラシは、山古志内の「やまこし復興交流館おらたる」などに置いてあります。牛の角突きブログもありますので、ぜひともご覧ください。

闘牛交流牛舎や山古志闘牛大会のお問い合わせは下記までどうぞ。
山古志闘牛会 TEL:0258-59-3933
山古志観光協会 TEL:0258-59-2343

巨体激突の闘牛大会、見ることができるのは山古志です!
是非、足をお運びください!

 

野中 大輔

新潟県長岡市宮本町出身。長岡高専専攻科在籍中は、有機系太陽電池の研究に取り組む。卒業後、大手産業機器メーカーのIoT機器設計部にて、制御機器の開発設計に従事。退職後、ご縁があり、新事業の立ち上げメンバーとして、山の暮らしを満喫しながら山古志の情報を発信中。IoT関連の知識で、新しい事業を生み出していきたい。趣味はフットサル・読書。
https://www.facebook.com/daisuke.perm