山古志の暮らし

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山古志の冬景色

四方を急な斜面の山々に囲まれ、信じられないくらい多くの雪が積もる山古志。
初めてこの地を訪れた人の中には「なぜこんな山奥に人が住もうと思ったのだろう?」と、思う方も少なくありません。
しかし、この山中での暮らしが、山古志独自の文化を育んできました。

山古志の人にとって、「山」は、単に地形を指す言葉ではなく、田であり、炭を焼く林であり、水を得る水源でもありました。
山は生産の場のすべてで、昔の人は「一生懸命働いて、借金しては山(田んぼのこと)を買い足した」そうです。
江戸末期には、米や粟・稗などの農産物に、養蚕、そして山菜、木材・薪などが山古志の物産として記録されています。また、冬に織り上げた縮(ちぢみ)や夏の蚕は商人に買い上げられ、雪が消えれば山菜や、縄・わらじ・小豆に大豆、炭や柴などを長岡城下へ売り歩いていました。

山肌を切り開いてつくった棚田は、山古志の特徴的な風景です。
登り下りの激しい棚田を工作するのがかなりの重労働でした。
そこで、人の心強いパートナーだったのが牛だったのです。
足腰が強く、寒さや粗食に耐える牛は昔から運搬や農耕に貴重な働き手でした。
生活を共にする牛がいたからこそ始まった「牛の角突き」は山古志の人々にとって誇り高き行事です。
農耕牛だからこそ、牛が傷つかないように引き分けにするのが習わし。
勢子と呼ばれる男たちが間に入り、牛を押さえて勝負を引き分けにします。
かつては、村の若者が行事の準備、進行、後始末の一切を取り仕切り、角突きをやり遂げることで一人前として認められたといいます。

錦鯉も山古志の自然と人との暮らしの中で生まれました。
雪は降るものの水源に乏しい山地では、棚田の一番上にため池をつくり稲作用の水を確保していました。
そこで、食用として鯉を育てた鯉の中から突然変異により、色のついた鯉が生まれたのです。
今では、山古志の伝統産業の一つとなった「錦鯉」。
白い肌に赤が映える”紅白”や煌びやかな”金銀鱗”など色とりどりの錦鯉に目を奪われることから「泳ぐ宝石」と言われています。

「牛の角突き」や「錦鯉」といった伝統は、この地で暮らす人々が生み出した、山古志の人々にとっての誇りです。
豪雪の中、辛抱強く春を待ち、伝統を守り、引き継いできたからこそ、暮らしに根付き、欠かせないものとなりました。

時代が移り変わった今もなお、山古志の人々は自然と向き合い、誇りある伝統を守り、無理のない範囲で日々を大切にしながら暮らしています。


−参考−
「やまこしふるさとガイド」編集・発行 長岡市山古志地域ふるさと創生基金事業実行委員会
「新潟県中越地震−北陸地方整備局のこの一年−」発行 国土交通省 北陸地方整備局
「ふるさと山古志に生きる−村の財産を生かす宮本常一の提案−」編集 山古志村写真集制

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