山古志の地形

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夏の棚田風景

山古志には平地がほとんどなく、集落は山々の谷間の中に16に分かれて集落が点在しています。
古くから地滑りが多い地域で、この自然災害が山を切り崩し、緩やかな台地上の地となり、段々畑や棚田を切り開きやすい地形をつくっていました。
人々は地滑りが起こるたびに土地を整備し、水田を増やしてきたのです。

山古志の水田面積は、江戸時代末期から大正時代にかけて飛躍的に増えていきました。
秋に稲を刈り入れると、山側の斜面を削り水田の山手側を広げ、さらに谷川の斜面を前方に出し水田を広げたのです。
少しでも苗を植えることができればそれだけ収穫が多くなります。
そのため、時期になると家族総出で水田を広げていったといいます。

山の斜面に階段状に重なる水田を棚田と言い、周辺には所々杉が植えられています。
先人たちは山の頂上付近や谷近くには自然林をそのまま残し、
棚田群の中には杉林が存在する景観をつくりあげました。
人間の力で無理やり自然を開拓するのではなく、
必要な箇所だけ自然に手を加えてきたことを教えてくれます。

現在の山古志は、JR長岡駅から自動車でわずか30分走ればアクセスできます。
しかし、山間部の山古志にとって、長らく交通の便の悪さは悩みの種でした。
かつては道がよくないため、塩などの日用品も、山古志から出荷する米や繭も、なんでも背負って持ち運びしなければなりませんでした。
特に困ったのは医者で、病人を運ぶことも、医者に来てもらうことも難しく亡くなった人も少なくなかったそうです。
世界有数の豪雪地帯でもあり、冬の峠越えは雪崩や吹雪など多くの危険が伴いました。
そんな山古志には小さな手掘り隧道(トンネル)が数多く残されています。
これらは、少しでも早く町に出られる道を確保したいと願う村人たちが、長い歴史の中で切り開いてきた道なのです。

現在も山古志には、山と共存する象徴である棚田や、隧道を見ることができます。それはこの厳しい自然環境の土地で、先人たちが山と戦い、そして山と共に生き、暮らしてきた証です。
震災を経ても諦めずに再建を目指してきた山古志の人々の中には、その歴史が今もなお受け継がれています。


−参考−
「新潟県の地理散歩−中越編−」監修者 山崎久雄・磯部利貞・林 正巳/発行 株式会社野島出版
「新潟県中越地震−北陸地方整備局のこの一年−」発行 国土交通省 北陸地方整備局
「ふるさと山古志に生きる−村の財産を生かす宮本常一の提案−」編集 山古志村写真集制作委員会 発行 社団法人農山漁村文化協会
「山古志村史 通史」編集・山古志村史編集員会/発行・山古志村役場
「写真集 山古志村 宮本常一と見た昭和46(1971)年の暮らし」著者・須藤功/発行・社団法人 農山漁村文化協会
「図解 にいがた歴史散歩<小千谷・北魚沼・古志>」編集/発行・新潟日報事業者出版部

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